カオスでディープな街「新世界」!令和になった今でも、昭和の香りが色濃く残るディープな街です。
魅力を挙げれば枚挙に暇がない程ですが、その反面テレビで芸人さんの語る新世界はディープすぎて、危なくないの?と思う人もいるのではないでしょうかか?
今回は、見所たっぷりの大阪「新世界」をご紹介します!
ディープなスポット「新世界」の歴史
行楽シーズンへ向けて旅行のプランはもう立てましたか?ディズニーランド、USJ,ハウステンボス・・・名だたるテーマパークが日本各地にあってどこに行こうか迷ってしまいます。
そんな時は、是非大阪にある「新世界」へ足を運んでみませんか(^v^)
新世界とは、大阪市浪速区にある繁華街です。中央やや北寄りに通天閣が建ち、南東部にジャンジャン横丁があります。
明治36年に第5回内国勧業博覧会が開催され、明治42年には東側の約5万坪が大阪市によって天王寺公園とされました。
西側の約2万8千坪は大阪土地建物会社によって明治45年7月3日、大阪の新名所として「新世界」が作られたのです。
同時に通天閣とルナパークも開業しました。開発当初は「新巴里」「第二千日」と仮称されていましたが開業の際、「新世界」と改められました。
当初、新世界のコンセプトは、テーマパークと似た感じでした。しかし、パリとニューヨークという二大都市の最新の文化や風俗を輸入・融合させる試みも行っていました。
そして、恵美須東2丁目の北中央にエッフェル塔を模した塔を建て、儒学者・藤沢南岳により「通天閣」と命名されました。
恵美須東3丁目にはニューヨークのコニーアイランドのルナパークに似た遊園地を開き、そこも「ルナパーク」と命名しました。
この時の通天閣は凱旋門の上にエッフェル塔を載せたような形でした。現在とは外見が異なり、今よりも南側にありました。
大正8年には新世界に大阪国技館を造り、経営環境や周辺地域が活性してきました。
新世界は道頓堀、千日前に次ぐ歓楽街として隆盛を極めました。
しかし、その後のルナパークは、期待したほどの人気が得られず、「楽天地」など似たような施設ができたことも影響し、大正12年に閉園しました。
その後第二次世界大戦中、通天閣の脚下にあった映画館「大橋座」の火災に巻き込まれて損傷。
やがて空襲の標的にされやすいことや、鉄材供出のために解体されてしまいます。
現在の二代目通天閣は、昭和31年に再建されたものです。
昭和33年、売春防止法による飛田遊廓の廃業などから歓楽街としての新世界の活気も衰えはじめます。
昭和36年に起こった釜ヶ崎暴動が追い打ちをかけ、隣接する新世界のイメージも悪化(T_T)
1960年代後半は大阪万博開催に向け、鉄道や道路のインフラ整備を担う労働者が全国各地から大阪に集結し、更に「労働者の盛り場」のイメージが強くなってしまいました。
しかし、近年では「昭和の名残」を感じさせるレトロな街の雰囲気が「戦後」を知らない世代などに再評価され、新たな観光地と変化しています。
街全体を覆う独特の雰囲気が人を惹きつけ、小説や漫画の舞台となったり、テレビや雑誌で街が紹介される機会も増えています。
新世界へのアクセス
最寄り駅:Osaka Metro堺筋線「恵美須町駅」
新世界のシンボル「通天閣」
通天閣(つうてんかく)は、新世界の中心部に建つ展望塔です。
公式キャラクターは「ビリケン」。大阪の観光名所として知られています。
日立製作所のネオンサインでおなじみ。地下一階から地上五階の展望塔で各階にアンテナショップやミュージアム、展望台やビリケンの神殿もあります。
新世界行ったら是非ここへ
新世界と言ったら串揚げ!
串カツだけじゃなく、美味しいお寿司屋さんもありますよ!
新世界のお土産の定番と言えば!

本当にディープな「新世界」!海外に行かなくてもこんなカオスな街は存在します^^一度行ったら病み付きになること間違いなしです!