日本に古くから存在する陸上をつなぐ交通路『街道(かいどう)』。今は交通の便もよくなって車や電車など文明の利器のおかげで移動も楽ですが、昔は徒歩や馬をつかって街道を移動していました。
東海道・中山道・甲州道中・日光道中・奥州道中などなど今でも主要な街道がその面影を残しています。その中でもちょっと風変わりな『鯖街道(さばかいどう)』をご存知ですか?
若狭国などの小浜藩領内から主に魚介類を京都へ運搬するための物流ルートなのですが、その中でも特に鯖が多かったことからついた呼び名です。
今回は『鯖街道(さばかいどう)』にフォーカスして、歴史や見所などをご紹介していきます^^
鯖街道の秘密!
鯖街道(さばかいどう)とは、一体誰が名付けたでしょうか?その名の通り鯖を運ぶ街道です。
福井県の小浜に伝わる古い文書で「市場仲買い文書」というのがあり、その中に「生き鯖塩して荷ない、京へ行き任る」という文章があります。
若狭から運ばれた鯖が、京の都へつく頃には丁度良い塩加減になったという意味ですが、今でも京の食文化の中には若狭の魚が生きています。
しかし若狭から運ばれたものは鯖だけでなく、いろいろな海産物や文化が運ばれ、そして京からも雅やかな文化や工芸品などが小浜に入ってきました。
「鯖街道」という名前は、小浜から運ばれた代表的なものが鯖であったということのようです。
鯖街道の歴史
鯖街道は1本だけでなく、5本ほどあったようです!その中でも最も盛んに利用されたのが、福井県の小浜から熊川宿を通り滋賀県朽木村を通って、大原から鯖街道の終点といわれる出町柳に至る若狭街道です。
この道では大きな荷物を馬借という、馬による輸送を行っていたようです。
これらの鯖街道のルーツは、奈良、飛鳥時代に若狭の国が「御食事」と呼ばれ、朝廷の税として塩や塩漬けした魚介類を納めていた頃に遡ります。
かつて若狭は「裏日本」ではなく、大陸文化を受け入れる表玄関となっていたところです。
若狭の海の幸は奈良の高官の口を楽しませ、やがて京へ都が移ってからも人々に「若狭もの」と称され京料理には欠かせないものとなっていました。
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若狭街道・鯖街道、オススメポイント!
ここからは鯖街道のおススメポイントをご紹介していきます^^
熊川宿
若狭湾・小浜から京・大原口まで全長約71キロ、その途中に「重要伝統的建築物群保存地区」熊川宿があります。
豊臣秀吉に重用され若狭の領主となった浅井長政は、天正17年(1589)に熊川が交通と軍事において重要な場所であることから、諸役免除を与え、最初40戸ほどの小村が200戸を超す宿場町となり繁栄しました。
平成8年には国の重要伝統的建築物群の選定を受け、民家の修復修景が進み、美しい町並みを形成しています。
又、街道の片側を流れる「前川」は平成の名水百選にも選定されています。
萬徳寺
ここの庭園は若狭地方随一の名園として知られ、八ヶ寺の中で唯一、国指定名勝の庭園を持つ寺院です。花の名所としても知られています。
春はツツジ、初夏は新緑、秋はもみじが白砂を敷き詰めた枯山水庭園を彩ります。四季折々さまざまな表情を見せてくれる花と自然が魅力です。
鯖寿司街道
朽木村から大原へ抜ける道は、近年整備され道幅も広くなってより多くの車が楽に通れるようになり、花折峠と朽木村との間は、別名「鯖寿司街道」と呼ばれる程、鯖寿司屋が店を連ね、多くの旅人が車を止めて買い求めています。
当時は一体どのくらいの時間をかけて鯖街道を行き来していたのでしょう?思いをはせながら訪れてみると、いつもとちょっと違った楽しみ方が出来そうですね^^ 鯖寿司もお店によって、少しづつ違ったりするので食べ比べもしてみたいですね!